2023.07.12 Wednesday
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2008.04.17 Thursday
裁判員制度
つけたTVに、こちらの意図せず大食いものが流れていると、いくら美味しそうな表情で食べていようがSO WHATじゃいと気分を害して立腹し速攻でチャンネルを変えてみる今日この頃です。
一般ピーポーが裁判官とタグを組み犯罪人を裁く「裁判員制度」が2009年5月にスタートするためか新聞紙上で裁判員制度の文字を見かける回数が増えました。 今まで法律の専門家が行ってきた刑事裁判の審理に義務として市民が参加する新制度で、市民に身近な司法、司法への社会参加意識を高める狙いで導入が決められたそうです。 ドラマ「相棒」で裁判員制度を題材にしたストーリーの回を観ていたので、制度について全く知らない訳ではないのですが…いまいちぱっとしないというかなんというか… 殺人事件の時効を無くするとか仮釈放なしの終身刑など刑の選択肢を増やしてからとかもっと環境を整えて準備してから導入すれば良いのに…と思います。 勉強し司法試験に受かった人が担う訳ではない裁判員の審理は、世間の情報媒体色々に影響を受けた自分の感情主体であったり自分のポリシーであったりの意見になりそうです。 私の場合、死刑制度は想像力が効く人間にとり殺人行為への強力な抑止力になっていると思いますが、殺人犯でこいつは更生のしようがない根っからの極悪人ゆえに死刑というのは、結局はそれに関わった人間が殺人行為に触れることになり、あの世があるんじゃないかと思っている私は殺人犯でも命をまっとうさせないと、そこでゆがみひずみが生じるんじゃないかとも考えます。 他人の命を奪った奴は自分の命もないものと思うべきだけど、罪を憎んで人を憎まずの精神もあり、塀の中で働いて一生を暮らすのが本人のためになるのでは…囚人は必要最低限の生活で労働させて、収入から自分のいりつく分をさっ引いた残りの分を世の中で役立つことに使用するのが良いのでは…と思います。 脳の不具合(なんらかの事故での頭への衝撃のダメージや病気)によって理性やモラルや想像力が欠けてしまい猟奇的犯罪を犯してしまった人にとっても良いと思います。 裁判員は市民から選ばれるとあって自分も JUGEMテーマ:日記・一般 2007.08.19 Sunday
のど元過ぎれば熱さを忘れる…
スティーヴン・オカザキ監督の映画「ヒロシマナガサキ」も観てみたいです。 TVニュース番組の中で、8月6日が何の日か街頭インタビューされて答えられずにいる日本の若者が複数出てくる映画の中のシーンをチラッとみたのですが、私もとっさには答えられないと思う反面、後から穴があったら入りたいと思うカモ…ずん。 日本経済新聞2007年8月16日(木)付けの夕刊に、共感を受けた大石芳野(写真家)さんの記事が載っていました。 「戦争では必ず得をする人がいます。『戦争をしたい』という人も必ずいる。でもそれは本来ごく一部、少数だと思います。ところが、その主張に賛同する人が増え、ごく一部の人たちを支える構図ができあがると戦争は起きる。(以下略)…」 「では戦争で最も損をするのはだれか。政治のプロセスにまったく参加していない子どもたちだと思います。子どもたちは、戦争で得をする人たちの対極にある存在です。(以下略)…」 「戦争は止めようと思えば止められるものだという意識をもっと大事にする必要があります。今は戦争を避けるより、相手に打ち勝つ軍備を整えようという議論が盛んですが、これは結局、戦争へ向かう発想だと思います。(以下略)…」抜粋 日本は今の現在でハッキリ軍事大国と言わないまでも軍事費大国だそう…。 以前、「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」というTV番組のなかで、イラク戦争でアメリカを支持した日本の政治家の出演者が、世界地図上のイラクの位置を知らなかったのを観て、恐ろしやと思いました。 「ロード・オブ・ウォー」や「プライベート・ライアン」や「戦場のピアニスト」や「ライフ・イズ・ビューティフル」等々、全然たんなる娯楽映画じゃないこれらの作品の存在はリアルに届かないのか…平和憲法、このまんまでいいのにな…。 神様がいるんだったら悪魔もいて悪魔の力のほうが強い。 今回の‘人間’は20××年しかもたなかったナ、意外と早く滅びたナ、とか遊ばれてたらヘコむな 2007.01.07 Sunday
ブリザリアン(BRETHARIAN)
ジョー・マクモニーグルが出ている年末年始特番を観ながら、江原啓之さん等、日本で霊能者と呼ばれている人は犯罪捜査官が天職なのではと思いました。 オーラの泉の特番も観ましたが、おのずともんもんと考えるところが湧いてきました。 神様神様って言っているけれど、神様と悪魔ってどうなんだろうとか、正負の法則があるのは感じるけれど、比重でいうと負のほうが重いのではとか、この世は修行の場、生まれ変わりを繰り返して純粋エネルギーに近づくというけれど、純粋エネルギーになるのはいつ等々。 負のほうが重いと感じるのは、悪いことで新聞に載るのは簡単だけれど、良いことで載るのは大変とか、神様がいるのなら、そもそも他の命をうばって生きるという行為を敷いたのは何故とか考えるから。 第4のヒレを持つイルカが発見された時の報道で、同時に追い込み漁で捕獲された117頭のイルカの行方や、昨年ディープインパクトが引退して種牡馬となったけれど、米国の伝説的な名馬ファーディナンドが日本で馬肉になっていたこと等々考えていると、とどのつまりは命をうばっているキレイごとなぞ言ってはいられない、甘くはない現実のことにいってしまいます。 「河童」を書いた芥川龍之介さんも、何かと色々もんもんと考えたのでしょうか 「ブリザリアン」という、人の「不食」の可能性があることを知りました。 あたかも植物が光合成を行うように体の中で栄養を生産して、それを生きて行く糧にできる人です。 不食を実行しようとして、事を急いて、早急に全ての飲食を止めることは危険で不可能だけれど、何か特別な生まれ持った能力が必須なわけではなく、決して焦らずに一時的な飢餓状態を繰り返しながら時間をかけて、まずは動物性のものを取ることを止めてベジタリアンになることからはじめ、そして段階を経ながらやがては菜食を止めるという流れで、はちみつを溶かした水やただの水を取るだけで元気に生活できる体になる人がふつうにいるそうです。 私は、この状態になった人間こそ輪廻転生終了の究極かもと思ってしまいました 興味はすごくわいたのですが、よく知ってからでないと痛い目にあいそうです。 下手をして、ガリガリ骨ホネ、お肌ガサガサ、1日中メシメシと食べ物のことで頭がいっぱいになって、脳みそが縮んで記憶力や思考力や判断力の低下を招いたりしたら怖すぎです。 痩せるためのダイエットが目的ではないから、太りたくないという強迫観念がない分、拒食や過食になる可能性は少ないとは思うのですが、変なところで意思の強さが出てしまって餓死でもしたら…ヤダな。 思い込みで、餓死なんてしないし食費も浮いてラッキなんて軽い気持ちで挑んでもよいものでしょうか。 本当に不食が人間のこの世の修業の行き着くところだとしたら‘美食’などと言っているうちはまだまだなのかもしれません 2006.03.12 Sunday
もったいない精神
母が子供の頃、食卓にお肉がのぼる日は1年のうちに数えるほどだったそうです。
家畜のにわとりを父親が庭でさばく姿をみて、今日はお肉が食べられるんだと思って嬉しかったそうです。 食べ物を粗末にしない、できない‘もったいない’という言葉があたりまえで‘いただきます’と残さず、ありがたくいただいていました。 物資が豊かな現在は、自分から意識できないとそういった気持ちにはなりません。 の「映像がとらえた屠殺のシーン(食卓のお肉ができるまで)」の画像は衝撃で、動画をみることはできませんでした。 わたしは肉食動物のいる自然の摂理で、みんなが菜食になるべきだとは感じません。 個々の自由だと思います。 ただ、自分は他の生き物の犠牲の上になりたっている現実を知ることや、米粒1つにしてももったいないと感じることは大切だと思いました。
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